J-POP歌詞あるある【最近の歌詞の複雑化について】
こんにちは、Hirokiです!
皆さん、普段音楽は聴きますか?
僕は小さい頃からピアノ習っていたりとずっと音楽に触れている人生を今のところ送っています。
特に誰の影響って訳でもないんですか、何故か色々と開拓した結果、1番好きなのは『昭和歌謡』です。
『また逢う日まで』という曲名を聴くと平井大よりも尾崎紀世彦が浮かぶ派です。笑
今日はそんな音楽について想いを綴ってみます。
今回のテーマはその中でも特に変化を感じた
『JPOPの歌詞の複雑化』
について考えます。
昭和と比べて歌詞がムズい。。
最近のJPOPの歌詞について語る、と言っても概要としては至ってシンプルです。
ずばり
『歌詞がムズい』
です。
皆さんは感じた事ありませんか?
非常に独特な世界観を持った歌詞が出てきた、と同時に僕は非常にその歌詞の意味の理解に苦しむ時があります。
本記事ではそれが良い事、悪い事、という話はしません。(というかそれはそもそもないです。)
ただ、あるひとつの事象(説)として考察してみる、という趣旨の元進めていきます。
自分なりに色んな原因(説)を考えてみました。
- SNSの普及により幼い頃から情報に触れる量が増えた説
- ドストエフスキー的な難しいが美学というトレンド説
- ボカロの発達によりメロディが複雑化した説
順番に見ていきます。
SNSの普及により幼い頃から情報に触れる量が増えた説
歌詞は言葉です。
言葉は想像や実体験から生まれます。
昭和歌謡の時代よりも今の時代の方が、想像で歌詞をかける環境だと思います。
それは一重にSNSやスマホのおかげです。
色んな人の人生や体験がより身近に、よりリアルに体感出来るようになった現代は、昔に比べ、想像力のみを使ってでもリアルに歌詞が書けるようになっていると思います。
ドストエフスキー的な難しいが美学というトレンド説
売れる曲を書くためにはトレンドを抑えつつも
「ありきたり」
を避けなければなりません。
それが『正解』かは別として、人は普通そう考えます。
ところが、最近はその『あきりたり』の基準がどんどん厳しくなってます。
要は色んな言葉で歌詞で言い尽くされているような、ある種の飽和に近い状態です。
ここからは本当に自論ですが、
『本来、誰かに共感してもらう為の歌詞、というものが、誰にも理解されない為の歌詞(ありがたりでない為の歌詞)というものに変わってきている』
という解釈も出来ます。
ドストエフスキーを読む時に感じる、あのよく分からないけど、んーなんかいい!高尚な気分になる!と言ったような感じです。
ボカロの発達によりメロディが複雑化した説
歌はメロディと歌詞で構成されるものなので、メロディに付いても考察しなければなりません。
歌詞が複雑▶︎メロディも音数が増え複雑化する
メロディが複雑▶︎歌詞の文字数が増え複雑化する
どちらのパターンもあると思います。
作曲家によってメロ先、詞先、に分かれるので当然のことではありますが。
詩が複雑になる原因(説)としては前述の通りですが、メロディが複雑になるのは何故でしょう。
僕は
『DTM、ボーカロイドの発達』
だと思います。
特にボーカロイド。
ご存知の通り、アンドロイドが歌を歌うので、今まで人間に合わせて作っていたメロディを完全に無視できます。
つまり、どんな複雑なメロディやリズム、広い音域の曲も作れるようになったのです。
もちろん、音数が増えるので歌詞も色んな言い回しを探した結果複雑化するのも容易に想像できます。
まとめ
どうでしょう。
もちろん僕がここで書いたことはあくまで感想、考察であって、何が正しいとかはないと思います。
皆さんは最近のJPOPの歌詞についてどのような意見をお持ちですか?
良かったらコメントして見てください。
本日の1枚📷
『空想時間』
久しぶりに帰った故郷の広島の空はやっぱりちゃんと澄んでて安心した、という1枚です。
1度離れてみると気づく事って沢山ありますよね。
(文 : Hiroki Yamamoto)
Hirokiさん、こんにちは。
記事を読ませていただきました。
私も音楽大好き人間です!
「また逢う日まで」は、もちろん尾崎紀世彦さん派です!
尾崎紀世彦さんの、あのダイナミックに歌い上げる所が素晴らしいですよね。
Hirokiさんの、最近のJ-POP歌詞が複雑化している事についての分析、本当にすごいなと思います。
私なんかでは、到底文章には出来ません。
昭和歌謡曲を好きだと言って下さる方がいてくれて、とても嬉しいです。
私は、昭和の人間なので、小さい時から昭和歌謡曲を聴いて育ちました。
携帯もCDもなく、レコードで音楽を聴いていた時代です。
レコードは、少し部屋の中を歩いただけでも、針飛びして音が飛んでしまうので、音楽を聴く時は、ずっとレコードプレーヤーの前に、正座して動かずに聴いていました。
今のように、イヤホンしながら、外に出かけて音楽を聴くなんて事は、絶対に出来ない時代でした。
昭和を懐かしむような内容になってしまいますが、昭和歌謡曲は本当に素晴らしいです!
家族団らんでテレビを見て、みんなで同じ歌番組を見る。
演歌も流れていましたが、子供からお年寄りまで、みんな口ずさめたと思います。
昭和歌謡の歌詞は、いたってシンプルです。
出会いや別れ、人を愛する気持ち、お酒を飲んで何もかも忘れてしまいたくなるような気持ち、などを歌っています。
子供心にも、心の痛みとか、切ない気持ちとか、人を愛するという意味が分かっていた気がします。
最近のJ-POPは、歌詞が本当に覚えられません。
今は、コンピューターが進化して、音楽も多様化した事は素晴らしいとは思うのですが、時々何を伝えたいのか全く分からない歌があります。
1980年に発売された、五輪真弓さんの「恋人よ」という曲がありますが、この曲は、「こごえる私のそばにいてよ」という歌詞にあるように、音楽でも、とても寒くてこごえるような情景が浮かんできます。
ヴィヴァルディの「四季」を思い出させるような、ストリングスの前奏で始まり、終始哀愁ただよう曲調になっています。
昭和歌謡曲は、歌手本人の歌唱力も本当に素晴らしいです。
世代を超えて曲がカバーされていますが、やはり本家を超える曲にはなっていません。
若い人の世代には、音楽はとても敏感なので、気軽にダウンロードして、色んな曲を知ってほしいと思いますが、最近の歌は、歌詞が心の奥まで届く曲が少なくなってると思います。
もっと悲しんだり、心の声を叫んだりして欲しいと思います。
元気になれる歌もたくさんあるので、今の時代の音楽も、もちろん好きですが、私は昭和歌謡曲を愛してやみません。
昭和の歌が心にしみる私は、いつまでも昭和を生きた事を誇りに感じながら、これからも生きていきます。
長文失礼致しましたm(_ _)m